YMCAの出会いとつながりが現在の私をつくっています

元横浜YMCA常議員
元社会福祉法人横浜YMCA福祉会理事
稲本 誠一 さん

 

5月の会員総会で「奉仕の書」をいただき、これまで私を導いてくださった方々に心から感謝しています。
私は東京の東の外れの江戸川区で男6人兄弟の長男として育ちました。「江戸っ子」でなく「端っ子」です。

私とYMCAとの関わりは、都立工業高校2年生の時に、級友に誘われて東京YMCA少年部に行ったのが始まりです。当時はグループ活動が盛んで同年代の仲間との話し合い、体育館でのスポーツや水泳、土曜日の礼拝、夏には野尻キャンプ場で野外キャンプやスキーなどがありました。

私は、YMCAとの出会いが無かったら、現在の私は無いと思っています。それは、少年部を担当していた齋藤實主事(バンケン)との出会いです。バンケンに「君の高校の近くに良い先生がいるから」と勧められて訪ねた東駒形教会は、賀川豊彦先生と同志による関東大震災の救援活動から生まれた教会で、黒田四郎先生が牧師でした。同じ学年に高名な漫画家になった千葉徹彌氏もいました。1956年のクリスマスに受洗。黒田先生はよく「仕える人になるように」と勧められました。高校3年生になり進路を決めかねている時に、五十嵐滋リーダーに励まされ、東京電機大学を受験しましたが、不合格。浪人中に黒田四郎先生や齋藤主事の助言と推薦を受けて明治学院大学の社会学科に入学できました。YMCAの主事になるつもりでした。学生時代は勉学、少年部リーダー、教会学校教師、家庭教師のアルバイトで忙しい毎日でしたが、後で考えるとどれも貴重な体験でした。少年部で私がグループリーダーをした昭和20年生まれの「コバルト」のメンバーとの交流は今でも続いています。

1960年当時、日本でも各種の情緒障害、小児自閉症など児童青少年の問題が発生してきたことから明治学院大学では、学内に児童相談所を設置し、研究と学生の臨床実習を始めました。希望がかなえられて「児童相談所実習」が許され、山﨑美貴子先生や江幡玲子先生に直接指導を受け、福田垂穂先生のゼミで学ぶことができました。すっかり児童臨床に魅せられて卒業後は、横浜の白峰会児童相談室、県立精神衛生センター、県立こども医療センターで精神医学ソーシャルワーカーとして30年間勤めました。

1990年に理事をしていた児童養護施設日本水上学園から依頼され19年間園長を務めました。顧みますと、多くの方々の指導と援助により、多様な問題を抱え困難な中にある子どもたちと家族に寄り添う働きができたことを心から感謝しています。

横浜YMCAとのつながりは、𠮷村恭二総主事時代の1991年から2006年までの15年間、常議員をしました。山根誠之総主事から社会福祉法人「横浜YMCA福祉会」の設立にあたって依頼され、監事、理事として20年間務めさせていただきました。横浜YMCAを通して多くの方との良き交わりができたことに感謝しています。

YMCAは、今年キャンプ100年を迎えています。時代が変わっても、青少年が集い、仲間同士や指導者とつながり、深い人間関係を築き、自らのアイデンティティーを見い出すことができる場であってほしいと思います。新型コロナウイルス感染予防や社会の変動により人間関係の在り方が変わりそうですが、共に考え、共に体験し、目標に向かい取り組むことから生まれてくるつながりの場を、これからも大切にしてほしいと願っています。

(掲載:月刊YMCA News 2020年7月)