参加者の声(My Y Story) 2016年6月 「人に奉仕を」と勧められ
YMCAに関わり69年

2016年度会員総会にて奉仕の書受賞
青少年指導者育成基金事業委員
松島 美一さん

 1947年4月、私は六浦の関東学院中学校に入学、中高生のYMCA(ハイY)に入りました。岡田吉民君はこの時の友人の一人でした。1963年、前年から国費留学生としてシカゴの大学にいた私を岡田君が訪れました。この年からの海外渡航自由化を利用して、米国でのワイズメンズクラブ世界大会に初めて出席した後でした。夏休みにオンボロ自動車を駆って一緒に米国各地を旅行したのは楽しい思い出です。

 私がシカゴ、千葉での研究員生活、福岡での大学教員生活を経て、1982年東京の大学に転任した時に岡田君から横浜YMCAに誘われました。彼は父上と2代続いて横浜YMCAの役員で、当時常議員会議長でした。職務多忙を理由に渋る私の背中を押したのは「人々の奉仕のおかげで君の今日がある。これからは人に奉仕することを考えては」との彼の殺し文句でした。研究室に吉村総主事、古田主事の訪問を受け、1984年6月の常議員就任を受諾しました。岡田君の他に高校時代の恩師石田昭義先生(後の関東学院院長)、私に洗礼を授けられた田彰牧師が当時の常議員におられました。

岡田君や同年配の仲間との楽しいYMCAでの活動、奉仕は、彼の1989年歳末55歳の若さの急病死で、突然断たれました。1週間前クリスマスを共に祝った私には信じ難い事態でした。「昨日一緒にゴルフをしたのに」と言う友人もいました。横浜海岸教会の葬儀で私は涙声で満足に弔辞も述べられませんでした。

 その後私は彼の遺志を継ぐ気持も込めYMCAに関わり続けました。1998年「50年継続会員賞」を受賞、2014年自身と家族の健康問題で辞任するまで30年常議員を続け、8年間は議長でした。青少年基金運営委員は30年以上、現在も続け、20年ほどは委員長を務めました。川崎YMCA運営委員長も10年以上在任、チャリティーラン実行委員長も3年経験しました。この間吉村、山根、田口総主事と多くの主事、職員に助けられ、彼、彼女らの有能さと献身に頭の下がる思いをしたことは数えきれず、感謝でいっぱいです。

(掲載:月刊YMCA NEWS 2016年6月)

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